家康よりすごかった精力大将軍徳川家斉は53人の子作りをした「精力家」

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現代病とも言われる男性のED(勃起不全)は寿命が延びれば、それだけEDの割合が増えてくることになります。

これまで過去の歴史の中で子だくさんの人物がおり、徳川家康は自ら勃起力改善の薬を開発・製造したりとして有名でしたが、実はそれよりも群を抜いて多くの子供をこさえた将軍がいます。

関連:徳川家も作っていたED治療薬

11代将軍の徳川家斉(いえなり)の精力増強

まずは11代将軍・徳川家斉は、10代将軍・徳川家治の養子である。
家治の世嗣だった徳川家基がわずか16才で急死してしまい、他に適した男児が家治家にはいなかったため、養子として迎え入れた。

当時は乳幼児の死亡率が非常に高い事もあり、このようにお世継ぎ不足で養子縁組は良くあったとでした。このため、当時家斉は結果として「男子26人・女子27人の合計53人の子どもたち」をなした。

この驚異的な子宝数は歴代将軍のなかでも第1位で、ある意味“快挙”です。

結果として53人中28人しか成人まで生き残らなかったのですが、それでも夜のお相手としては40名以上の女性がいたと言われています。

家斉流「勃起力改善法」とは意外とシンプル

当時、平均寿命が30~40歳とされている中で、家斉には~55才まで、毎年子供を産み続けていたそうです。

現在ならば55歳といえば、ED治療薬はお世話になっている年齢でしょうか?
少なくとも手軽に入手できるサプリメントなどは少なくとも使用をしている状態なはずです。

家斉が行っていたシンプル勃起力改善

1.早寝早起き

生活リズムを大切にし、早寝早起きを心がけていたようです。当時としては普通なのでしょう。

2.運動

早起きの後は広大な庭園をウォーキング。健康には、こういった日頃の努力の積み重ねが欠かせない。他にも鷹狩など激しめの運動もこなし、体力や筋力も蓄えていた。

3.薄着

どこの小学校にもいた、真冬でもなぜか半袖半ズボンの男の子。家斉も真冬を薄着で過ごし、部屋にあった炬燵(こたつ)にも入らなかったらしい。

4. 白牛酪(はくぎゅうらく)

家斉は健康のために「白牛酪(はくぎゅうらく)」という、牛乳と砂糖でできたチーズのようなものを食べていたそうだ。
これは、今にわかに注目を集めている平安時代の食べ物「蘇(そ)」と同じように、牛乳と砂糖を煮詰めて塊状にしたもの。
家斉はこの健康法を『白牛酪考』という書物に書かせている。
実際に53人もの子が生まれているのだから、その効果はお墨付きだ。

これらは、どれも時代にからして、一般的な日常ではありますね。
白牛酪に関しては牛乳と砂糖ですので、特に参考できるモノもないですね。
実は、家康の時からも使われていた、 オットセイの陰茎を粉末にした精力剤も飲み続け、生姜を毎日食べていたそうです。

そのため、家斉は「オットセイ将軍」というあだ名をつけられてしまいました。

やはり、勃起力増大の秘密としては「オットセイ」「生姜」あたりなのでしょうか。

しかし、根拠が分からない動物の性器よりも、現代ではED治療薬がありますからね。
それに側室の女性が40名以上もいれば、日替わりで楽しめるので、毎日新鮮な気持ちなので勃起力低下なんて関係ない気もします。

羨ましい事です。

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